壮絶な過去を乗り越え、日本で女優・タレント・人道支援家として活躍するサヘル・ローズさん。
そんなサヘル・ローズさんの人生を語る上で欠かせない存在が育ての母である、フローラ・ジャスミンさんです。
この記事では、サヘル・ローズさんと養母であるフローラ・ジャスミンさんとの感動的なエピソードをご紹介します。
ぜひ、最後までご覧ください。
サヘル・ローズさんの壮絶な過去

1980年から1988年にかけて行われていた、イラン・イラク戦争激戦下にサヘル・ローズさんはイランで生を受けました。
戦争に翻弄され、4歳から7歳まで孤児院(児童養護施設)で育っています。
サヘル・ローズさんの壮絶な過去についての詳しい記事はこちら↓

サヘル・ローズの人生を変えた出会い
サヘル・ローズさんは、イランの孤児院で7歳まで過ごしたのち、大学院生でボランティア活動をしていたイラン人女性のフローラ・ジャスミンさんに引き取られました。
その後、サヘル・ローズさんはフローラ・ジャスミンさんの結婚を考えていた婚約者の元へ、1993年8月13日に来日しました。
来日後、養母夫妻との3人暮らしが始まりましたが、義父の”躾”という名の暴力や貧困に直面し、最終的には母子で家を出てホームレス状態となり、真冬の公園で約2週間過ごすことになります。
それでも、通っていた小学校の給食調理員が食事や住まいの世話をし、日本での暮らしを支えてくれたといいます。
養母は縁や身分よりも愛を優先し、周囲の反対や家族との断絶を乗り越えて、育ての母親となる道を選んだと語られています。
過去のインタビューでサヘル・ローズさんが語っていました。
当時、イランでは養子縁組をするのに3つのルールがありました。結婚していること、裕福なこと、そして子どもを授かれないこと。母は結婚はしていたし、資産家の娘でお金に不自由はなかったけれど、子どもを産める健康な体でした。でも、私を引き取るために、自分の体にメスを入れたんです。最初に出会ったとき、私が彼女を“madar(お母さん)”と呼んだことを真摯に受け止め、不妊手術を受けたことは、私が18歳になったとき、初めて母から知らされました。
引用:家庭画報
サヘル・ローズさんの母になるために、フローラ・ジャスミンさんは子供ができないように自身の体をメスを入れるほどの覚悟をお持ちでした。
他人のためにここまでしてくれる人はなかなかいないのではないでしょうか。
サヘル・ローズ育ての母との深い絆
サヘル・ローズさんが芸能の道へ進むと決めたとき、養母のフローラさんは、自身の意思でサヘル・ローズさんを見守る姿勢を貫きました。
反対や賛成ではなく、「あなた自身を尊重する」というスタイルで、どんなときも支え続けたといいます。
サヘル・ローズさんは多くの媒体で「自分を愛していい」「幸せになっていい」というメッセージを発信しており、養母の存在がその源泉であることを示唆しています
つらいとき、迷ったときにも、戻れる“居場所”として安心感を与えてきた母。
血の繋がりではなく、愛情と信頼で築かれたその絆こそが、サヘル・ローズさんの人生を支える大きな柱となりました。
まとめ
サヘル・ローズさんと養母・フローラ・ジャスミンさんとの絆と感動的エピソードについてご紹介しました。
血のつながりではなく、心のつながりこそが家族をつくる。
そんな大切なメッセージが込められたストーリーでした。
命を救い、愛を注ぎ、共に生きてきた二人の歩みは、今後も多くの人の心に響いていくことでしょう。
コメント
コメント一覧 (1件)
[…] […]