イラン出身の俳優、タレント、そして国際人権活動家として知られているサヘル・ローズさん。
そんなサヘル・ローズさんの生い立ちが衝撃的でした。
この記事では、衝撃的な人生を歩んだサヘル・ローズさんの生い立ちや、両親、経歴についてご紹介します。
ぜひ、最後までご覧ください。
サヘル・ローズの衝撃的な生い立ち

サヘル・ローズさんが衝撃的な生い立ちだと言われている理由は3つあります。
戦争激戦下に誕生
1980年から1988年8月20日にかけて行われていた、イラン・イラク戦争激戦下にサヘル・ローズさんはイランで生を受けました。
戦争に翻弄され、孤児院(児童養護施設)で育っています。
当時のことは過去のインタビューでの発言で、
「物心がついた頃には孤児院で生活していたことから、実母の記憶はまったくなく、実父のこともぼんやりとしか記憶していない」 引用:全労災
このように語っていました。
虐待
サヘル・ローズさんは8歳の時、養母フローラさんと共に来日し、埼玉県志木市に住み始めます。
来日のきっかけは、日本に留学していたフローラさんの婚約者(イラン人男性)に相談したことでした。
しかし、来日直後、フローラさんの婚約者の”躾”という名の虐待が始まったのです。
虐待に耐え兼ねて家を飛び出し、母子で2週間ほど真冬の公園でホームレス同然の生活を経験しました。
深刻ないじめ体験
小学5年生で都内に引っ越した後、中学校時代には自殺を考えるほどの深刻ないじめや差別を経験しました。
いじめの内容
- 当時の日本社会でイラン人に対する偏見(偽造テレカや麻薬事件のイメージ)
- 最初は軽いからかいから始まり、徐々にエスカレート
- 暴力や無視
- クラスに外国ルーツの子が自分だけだった時に集中的にターゲットにされた
過去のインタビューではいじめが酷すぎて死にたいと思ったと答えていました。
思春期真っただ中の15歳のとき、学校での激しいいじめに疲れ果てた私が「死にたい」と母に言うと、「一緒に死のうか」と答えてくれたんです。
母も言葉のわからない日本でひとりぼっち。働いても働いてもまともな稼ぎを得られず、日々の食事に困る毎日に押しつぶされそうになっていたんですね。その瞬間、お互いに弱さを見せ合えていなかったことに気づいたのです。ふたり抱き合い泣きながら、このとき初めて親子になれた気がしました。
このように、サヘル・ローズさんの生い立ちが壮絶であることが分かりました。
こんなにも壮絶な人生を歩んだからこそ、今のサヘル・ローズさんの活動につながっているのでしょう。
サヘル・ローズの経歴
ここからはサヘル・ローズさんの経歴をご紹介します。
- 2024年11月 著書『これから大人になるアナタに伝えたい10のこと 自分を愛し、困難を乗りこえる力』
- 2018年4月 映画『冷たい床』主演
- 2025年1月 映画『花束』監督
- 2025年8月 映画『九龍ジェネリックロマンス』
- 2025年12月 舞台『恭しき娼婦』主演
多くの作品に出演していたり、本を書いていたりと多方面で活躍しています。
また、社会活動や人道支援も精力的に行なっています。
- 2012年より国際人権NGO「すべての子どもに家庭を」親善大使
- 世界中の難民キャンプや孤児、ストリートチルドレンの支援活動
- 2020年アメリカで「人権活動家賞」受賞
サヘル・ローズのプロフィール

- 名前:サヘル・ローズ
- 生年月日:1985年10月21日
- 年齢:39歳(2025年8月現在)
- 出身地:イラン・ホラムシャハル近郊
- 身長: 170cm
- 血液型: O型
- 職業: 俳優・タレント・コメンテーター
- 所属: エクセリング
- 学歴: 東海大学電子情報学部卒業
サヘル・ローズさんの名前は義母であるフローラさんがつけたもので、『砂浜に咲くバラ』と言う意味があるそうです。
高校生の頃から芸能活動を始め、母であるフローラさんを支えていました。
まとめ
この記事ではサヘル・ローズさんの生い立ちが衝撃的だと言われている理由と、両親や経歴についてご紹介しました。
サヘル・ローズさんの人生は、戦争、孤児院、いじめ、貧困といった数々の困難を乗り越えて、現在は俳優として活躍しながら世界中の子どもたちの支援活動にも取り組む、まさに「砂浜に咲く薔薇」のような強さと美しさを体現した人物であることが分かりました。
また、義母フローラさんとの深い絆は、血のつながりを超えた真の家族愛の象徴として多くの人に感動を与え続けています。
サヘル・ローズさんの今後の活躍を応援していきたいですね。
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